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「この子です、柴(しば)先生。ええ、先生のご期待に必ず応えられる子ですわ」
園長の骨張って少しかさついた手に背中を押され、龍太郎(りゅうたろう)は黙って一歩前へ踏み出した。
いつも陰気な顔をして、口を開けば愚痴ばかりの園長が、今日は珍しく洒落た恰好をしてよそゆきの声を出している。
それだけでも、今、自分たちの目の前にいる人物が重要な人間なのだとわかる。
最初は、また都議だの教育委だのの視察団でも来たのかと思った。
龍太郎が暮らす都立児童福祉施設「愛育園(あいいくえん)」には、よくそうしたお偉いサンの視察があるのだ。
そのたびに園長は、自分たち職員がどんなに深い愛情を持って恵まれない子どもたちに接しているか、なおかつこの施設が経済的にどんなに困窮しているかを必死に訴える。
が、今、園の駐車場に停まった車は二台だけ、それもこの福祉施設に住む子どもたちが今まで見たこともないような、ばかでかく重厚な黒塗りの外車だった。
視察団はたいていマイクロバスか、あるいはハイヤーをずらっと連ねてやってくる。しかも自分たちの功績をアピールするためのマスコミ連中を引き連れて。
そして視察団が来た時には、園の子どもたちはたいがい食堂に集められる。そのほうがいろいろ撮影しやすいからだ。
だが今日は龍太郎ひとりだけが園長室の隣にある来賓室へ呼び出されたのだ。それも、わざわざ中学の制服に着替えさせられて。
ふだんは立ち入ることも許されない来賓室では、見知らぬ老人がふたりばかりお付きの男を従えて、龍太郎を待っていた。
「中学二年です。六年前……小三の時に、この施設に保護されました。頭の良い子です。健康で活発ですし、小さな子の面倒もよく看ます。初対面の方には少し――頑なに思われるかもしれませんが、それは……その、この子が……」
「地獄を生き延びたせい、か?」
龍太郎の生い立ちをどう表現したものかと口ごもった園長に、低く嗄れた声がその続きを継いだ。
厳しく、が、どこか懐かしく胸にしみいるようなその声に、龍太郎はあらためて目の前に立つ人物を見た。
――どっかで見たことがある、このじいさん。誰だっけ。
どちらかといえば小柄で、手などシワと骨だけの枯れ木のような爺さんだ。けれどその目はまるで猛禽のように、見る者を射抜く鋭い力に満ちている。
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