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育児放棄した母が、あきらかに虐待されているとわかる我が子を病院へ連れて行ってくれるはずがない。下手をすれば苦痛にうめく声がうるさいと、今度こそ本当に、母の同棲相手に殴り殺されてしまうかもしれない。
それよりは、学校内で倒れれば、先生たちが必ず救急車を呼んでくれるはずだ。病院でちゃんと治療してもらえる。虐待の事実が認定されれば、母の元を離れてどこかの施設に保護してもらえるかもしれない。
龍太郎はその可能性に賭け、呼吸もできない激痛に耐えて、文字通り死にものぐるいで小学校へ登校したのだ。
「度胸はあるようだな」
訥々(とつとつ)と説明する龍太郎に、老人はかすかに満足そうな笑みを浮かべた。
「頭も働く。まあ、行儀は悪いが、教育次第でなんとでもなるだろう。私が探している人材の条件に合致しているようだ」
「条件?」
「龍太郎……その、龍太郎くん。これはあなたにとって、とても良いお話ですよ。こちらの柴先生があなたの後見人になってくださって、進学の援助をしてくださるの」
背後から園長がぼそぼそと説明した。
「後見人?」
その言葉に、龍太郎は反射的に、老人へ思いきり疑わしそうな眼を向けてしまった。
――なんだ、こいつ?
見ず知らずのガキの後見人になる? 進学の援助までしてくれるだって? そんなばかな話があるものか。
人間ひとりを一人前に育てあげるには、莫大な金がかかる。ポケットの小銭や着古したシャツを福祉施設に寄付するのとは、わけが違う。
それを赤の他人がやってやろうというのか。何の見返りもなく。
「信じられんか」
老人が言った。その声はどこか、龍太郎が見せた不愉快な態度をおもしろがっているようにも聞こえた。
龍太郎はまた黙ってうなずいた。こんな話を信じろというほうが無茶だろう。
「名前は」
「高瀬龍太郎です」
良い名だ、と老人は口の中でつぶやくように小さく言った。
「では龍太郎。こう言えば良いか。これから私は、おまえに仕事を与える」
「――仕事?」
「そうだ。おまえがその仕事をきちんと勤め、私の期待に応えるなら、私はおまえに安定した衣食住を与えてやる。進学も援助してやろう。だが、おまえが満足に勤めを果たせず、私を落胆させたなら、すぐに私の元から叩き出す。どうだ?」
「それなら……納得できます」
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