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「着替えとか日用品とか、必要なものはすべてお屋敷で揃えてくれる。どうしても手放せない大切なものだけ持ってこい」
「……ありません、そんなもん」
龍太郎の服も私物もみな、ボランティアなどを通じてこの施設に寄付されたものばかりだ。龍太郎が使わなくなれば、園の別の子どもたちが使うだろう。
ほかの子どもたちが持っている家族との思い出の品のようなものも、龍太郎には何一つない。
「そうか」
男はそれ以上、なにも言わなかった。
先生と呼ばれた老人は、前を行くもう一台に乗っている。
「柴 鴻一(こういち)。中坊でも名前くらいは聞いたことがあるだろう」
都心へ向かって走る自動車の中で、龍太郎はあらためて老人の正体を説明された。
衆議院議員、柴 鴻一。
戦前から続く政治家一族に生まれ、その家系図にはひとりの総理と複数の大臣、外交官や高級官僚などがずらりと名を連ねる。本人も一〇期連続で代議士を務め、前政権では官房長官をも務めていた。政権与党最大派閥の長でもあり、陰の総理、キングメーカーなどとも噂される人物。
お付きのダークスーツたちは、私設秘書という名のボディガードだ。
たいそうな肩書きに萎縮するつもりもないが、そんなお偉いお方が、身よりもない一介の男子中学生に、いったいなにをさせようというのだろう。
が、私設秘書は最低限の説明を終えると、石のようにむすっと黙り込み、龍太郎の質問には一切答えようとしなかった。
「あの……。これからどこへ行くんですか」
「着けばわかる」
取りつくしまもない。
騒音も振動もほとんど感じさせない高級車の後部座席で、龍太郎は次第にこみ上げる眠気を感じていた。
――いいや。どこへ連れていかれても、取って食われるわけじゃねえだろうし。着けばわかるってんだから、それまでは俺ひとりがなに考えてたって意味ねえや。
開き直って、眠気に身を任せ、うとうとし始めた時。
「着いたぞ」
ゆるやかなブレーキングの揺れで、龍太郎ははっと目を覚ました。
「降りなさい」
言われるまま車を降りた龍太郎の前には、和洋折衷の豪壮な邸宅がそびえていた。
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