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「戻りたくないからかもね」
くりっとした二つ目で見上げるノラを柔らかな表情で見つめ返しながら、那月は何気なく言葉を零した。
「……?」
怪訝に小首を傾げる俺を一瞥して、笑みを落とす。
「今のノラくんにとって、そのときは当たり前だった野良猫としての日々はもう辛いことで、外の世界を怖がっちゃうほど戻りたくない過去なんじゃないかな」
そして指先を眼前でちらつかせてノラの狩猟本能を煽りながら、那月は言葉を続けた。
「何が幸せかを知れば、何が辛いかを知ることになるものだからね」
話しながら、足元の地面から雪を掬う。
片手に乗せると、那月はそれをノラに触れさせた。
「ぴゃー! ぴゃー!」
両腕の中でノラが前足をばたつかせてはしゃぐ。
その高揚ぶりは、ベランダで遊んでいたときと同じ調子だった。
そしてそんなノラを観察する那月の笑みは、とても優しいものだった。
「まぁ、つまり。兄さんに拾われたノラくんは今、それだけ幸せを感じているんだって話だよ」
にっこり笑って、那月は俺の両腕からノラを引き取る。
きゅっと目を細めて幸せそうにしているノラを抱き締め、顔を寄せて頬ずりをした。
「……戻りたくない、か」
微笑ましげな1人と1匹を眺めながら、ぽつりと言葉を零す。
「兄さん」
そんな俺に、那月は優しい声で呼びかけた。
「寒くなってきたね。もう家に帰ろう」
器用にノラを片手に抱き、空いた手で俺の手を取る。
雪に触れまくってすっかり冷えているはずなのに、それでも彼の手は温かく感じた。
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