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「眠いの?」
彼の身体に縋って肩に顔を埋めている俺へ、那月が穏やかな声で訊ねかけてくる。
顔も見ず、言葉も返さずにいれば、溜め息混じりの小さな笑い声だけが聞こえた。
「いいよ。ノラくんが起きるまで、僕も少し休むよ」
俺の背中をゆっくりさする、労わるような優しい感触。
毛布の中に収まっていた那月の手のひらはいつもよりも温かくて、服越しなのにはっきりとした体温が伝わってきた。
背中に与えられる心地良いリズムに促されるままに、目蓋を閉じていく。
今まで眠れなかったのが嘘のように、全身が微睡んでいった。
(……身体、温かい)
冷たい身体を癒してくれる幸福の温度。
優しさや安らぎを、日々の中のささやかな幸せを教えてくれた彼だけが持つ、特別な温度…。
”何が幸せかを知れば、何が辛いかを知ることになるもの”
ーーなら、知りたくなかった。
触れられる喜びも、言葉を交わす楽しさも、見守られる安心感も、寄り添う幸福も。
自分を無条件に温めてくれるこの温度も。
全て知らずに、生きていたかった。
それならきっと、彼が離れていくかもしれないと怯えなくてよかった。
やがて彼が誰かと築くであろう未来を、何を想うこともなく祈っていられた。
自分がこんなにも脆くて弱い人間なんだと、認めずにいられたのに。
(戻りたくない)
あの頃の日々が怖い。
あの頃の自分に戻りたくない。
この人のいないセカイに帰りたくない。
今まで俺はどうやって生きていた?
どうやって独りで立っていられた?
こんな幸福に触れてしまったのに、そのときが来たら俺はどうやってこれを手放せばいい?
この人を失うときが来たら、俺はどうすればいい…?
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