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「え……」
呆気にとられて、目を瞬く。
求められた見返りが余りにも質素で訝しげになる俺に、那月は優しい笑みを見せた。
「僕は兄さんの声と言葉を貰える方が、ずっと嬉しい」
「……。変なやつ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ」
視線を逸らして、俺は悪態を吐く。
堂々としていて、何の恥ずかしげもなく言う那月の姿に、こっちが居た堪れない気分になってしまった。
「……今日はいい一日だった。……ありがとう…」
頬に浮いた熱は今度こそ誤魔化せず、傾き始めた空に照らされる。
礼の言葉なら日常的にも使っているはずなのに、この瞬間ほど気恥ずかしさに呑まれて躊躇ったことはなかった。
「うん、僕も。またこんな風に出かけたいね」
向き合っている那月が、快く笑って頷く。
俺が都合よく捉えているだけなのかもしれないが、彼の見せる笑顔や態度は、本当にこのたった一言に満足して喜んでくれているように見えた。
「道、ちょっと混んでそうだね」
再び噴水広場まで戻ってきた俺たちは、出入り口に続く最初のエリアを遠巻きに眺める。
「皆考えていることは同じなんだな」
揃って街の外へと歩んで行く人の流れを見て呟く。
帰るには、いい頃合いなのだろう。
「だね。僕たちも帰ろっか」
最後に時計塔を振り返りながら言う。
「ん」
それから那月は、当たり前のような表情で俺へと手を差し出した。
手を繋げと、促しているのだ。
「…さすがにもう必要ないだろ。ここから先に迷うようなことなんてないんだから」
「油断大敵。家に帰るまでが遠足だよ?」
「……」
今しがたのやり取りのせいか、差し出された手を取ることが照れ臭くてひどく躊躇う。
それでも那月は、手を伸ばすことを止めない。
俺が手を取り返すまで、当然のように待っている。
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