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「なんて痛ましい表情をなさるのでしょうか」
寄り縋る俺を見下ろしながら、一色纏は憐れむような笑みを溢した。
「安心してください、院長。僕も血の通った人間です。
そこまで殊勝に乞い願うあなたを無下に出来るほど、薄情な性格はしていません」
柔らかく目を細めて、俺の髪を上から下へとゆっくり梳いていく。
「ですが、これは所詮 口約束…。いくら僕があなたの頼みを受け入れることを誓っても、そこに絶対の効力はありません。というか…」
そのまま俺を傍らのソファへと座らせ、一色纏は穏やかな口調のまま言葉を続けた。
「正直な話、これって僕に何の旨味もありませんよね」
「……旨味、ですか」
一色纏はにこりと微笑む。
力無くソファに腰掛け、眉をひそめる俺に何も言葉をかけずに、ただ見下ろしながら。
それは、俺の返事を待っているようだった。
「……」
一色纏は元から、この話を善意で受け入れるつもりなんてないのだろう。
黙っておく対価…つまり、口止料を求めている。
恐らくは金銭だろう。
彼にとって需要があるのなら、この病院での地位の格上げかもしれない。
あるいは両方か、さらに付け加えられるか…。
俺は視線を逸らし、そのまま俯いた。
ばくばくと心臓が鳴り打つ中、思考を巡らせる。
こういう要求はたった一回で済まないことが当然だ。
何度も何度も、それこそ破滅するまで、過激化していく。
解決したいからと、その場しのぎに安易に受け入れるものではない。
……だけど。
「……要求はなんですか」
金銭が欲しいなら俺が働き続けていればいい、貯蓄だってそれなりにある。
この病院が欲しいというのなら、どこかで勤務医になればいい。
医師である限り、きっと稼ぎ口はどうとでもなる。
傷も負担も、全てを背負うのが俺だけならそれで良い。
那月の未来には代えられない。
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