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ーーその後帰路に着いている最中の記憶は曖昧で、よく憶えていない。
ごろごろと絶えず唸る雨空の音だけは、微かに頭に残っている。
気怠く重い身体を引きずり、ようやく玄関の前へと辿り着いた。
見慣れた扉を前にして、早く休みたい気持ちがどっと溢れる。
けれどドアノブに伸ばす手は躊躇い、そのまま止まってしまった。
このまま家の中に入っていいのかが分からない。
”おかえり”と笑ってくれるであろう彼に、俺はどんな顔で”ただいま”と言えばいいのか分からない。
彼を欺く自信も、はぐらかす余裕もない。
こんな自分を見られたくない。
『もう隠せないのですから』
「………」
痕の残る首筋に手を当てる。
病院での一色纏との出来事を思い出して、無意識の内に爪を立てて。
皮膚を引っ掻く前に、大きな雷鳴に自我を呼び戻された。
「ぴゃー!」
おずおずとリビングへ入る俺に、ノラが駆け寄ってくる。
そんなノラの行動に、本を読んでいたらしい那月も顔を上げてこちらに振り向いた。
「……」
眼鏡のレンズ越しに寄越される、静観するような視線。
その間どうしてか一言も発さない彼に、俺はノラを抱き上げたまま戸惑い、固まってしまった。
「ぴゃー?」
沈黙し合う俺たちに挟まれているノラが、不思議そうにして鳴いた。
それから身軽な動作で、俺の腕から飛び降りる。
「ぴゃー! ぴゃ!」
ノラは速足で那月の元へと歩んでいく。
そして本を開いている彼の腕に自らの前足を引っ掛けながら、ちらちらと俺を振り向いて鳴いた。
俺が帰ってきたことを、那月に教えてくれているような仕草だった。
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