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俯き、唇を噛み締める俺の隣で、一色纏は楽しげに語り続けた。
「苦境に陥っても理不尽を強いられても、弱さや辛さをおくびにも出さずに毅然と振る舞い続ける姿勢に、胸を打たれたんですよ。
なんて気丈な人なんだろうと感心すると同時に、傍で支えたいと強く思ったのです」
「素晴らしい惚気だ」
相槌を打ち、那月は降参したように笑う。
その反応に対して一色纏も、くすくすと困ったように笑みを浮かべた。
「他にもありますが列挙していたら切りがありませんよ。医師として学ぶことも多ければ、人として惹かれるところも多い方ですから」
ーー…誰の顔も見ないまま、俺はじっと俯いていた。
それでも防ぎきれない、行き交う彼らの声と言葉に、ひどい頭痛と眩暈に襲われた。
「一色さんは、本当に兄のことを大切に想ってくれているんですね」
激しい吐き気が込み上げてきて、無理やり呼吸を止める。
「ええ。院長は僕にとって、とても大切な方です」
拒絶反応か、噛み締めていた唇や丸く握り締めた手のひらが、寒さに呑まれたように小さく震えた。
「この人には、共に生涯を歩む最後の相手になってほしいと思っていますから」
やめてくれ、もういい。
こんなの、こんなの聞きたくない。
一色纏の弄ぶような嘘も。
それを聞く那月の嬉しそうな相槌も、興味ありげな表情も。
ーー…もう、やめて…っ。
「院長? どうしましたか?」
座椅子に膝頭を着き、腰を上げた俺に、一色纏は問い掛けた。
2人の視線を一斉に受ける。
「………すみません、ちょっと手洗いに…」
そのどれもを受け止めないまま、俺は貧弱な声を振り絞った。
「直ぐ、戻ります……」
怪訝そうにしながらも心配した表情で様子を窺う一色纏の背中を、そして出入り口付近に座っている那月を横切り、俺は急いだように部屋を出た。
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