857人が本棚に入れています
本棚に追加
ーー…それは俺に配慮して選んだ言葉ではない。
那月は普段から俺に対して、そんな遠慮はしない奴だ。
俺が選んだものが変なら直球で変だと言うし、間違っているなら間違っていると止める。
その対象が例え、恋人という俺にとっての特別枠だったとしても。
「……そうかな」
「うん。いい人見つけたんだなって思ったよ」
そんな彼が、俺の問いに言い淀む素ぶりも見せずにきっぱり言い切った。
迷わずに紡がれたその言葉は、明らかに彼の抱いた本物の感想だ。
那月は、一色纏を認めたのだ。
病院のスタッフや患者と同じように、俺や彼にとって信頼出来る人物として定めたのだ。
…那月は…。
那月も、一色纏の仮面を見抜けなかった…。
「……そうか」
崖上から奈落の底まで、突き落とされたような気分だった。
「……ははっ、それなら、良かった…」
神様に祈るように那月に救いの手を期待して、きっと大丈夫だと舞い上がっていた自分を思い出して、傍目に見たそんな自分はきっと滑稽で。
なんだか何もかもが可笑しくなって、思わず渇いた自嘲が零れた。
この人なら、この人ならと縋っていた。
一色纏という存在の本質を見抜けると、信じていた。
その最後の望みすら、たった今潰えてしまったーー…。
「……。でも」
那月は運転に支障の出ないほんの一瞬だけ、失意に陥っている俺を一瞥した。
「兄さん次第かな」
程なくして繋がれた言葉。
茶化すような笑みもなく、祝うような笑みもない。
ただ真っ直ぐに前を見ている、重く静かな表情が印象的だった。
(俺 次第って、なに…?)
それは俺が、一色纏に好意の欠片もないから言うのか?
彼の気持ちに応えずに恋人になっていることを、暗に咎めているのか…?
「……っ」
責められているような気がして、胸中に鋭い痛みを覚える。
返事も出来ないまま、咄嗟に那月のコートで口元を隠した。
今喋ったら、声が震えているのがバレてしまうと思った。
最初のコメントを投稿しよう!