857人が本棚に入れています
本棚に追加
/888ページ
ーー着替えを済ませてリビングのソファに腰掛けている俺の前に、ティーカップが映り込んだ。
所在なさげに落としていた視線が、はっと丸くなる。
紅茶の…、ホットレモンティーの香りが、そっと鼻先を掠めた。
「どうぞ、淹れ直したんです」
湯気を浮かせるカップを差し出す手を見て、そこから辿るように顔を見上げる。
仰いだ先に見えた一色纏は、柔和に笑っていた。
「温まるついでに、不安や緊張が解れますよ」
「………」
宥めるような声に促されるままに、カップを両手で包むように受け取る。
俺は小さく会釈をしてから、そっと口を付けた。
紅茶の中に馴染んだレモンの風味が、じわじわと口の中に溶けていく。
さっきは味を楽しむ余裕もなく、完飲すらしなかったレモンティー。
改めて通した一口に、好ましい味と高めの温度がもたらす精神の安穏を感じた。
「…ありがとうございます」
「はい、どういたしまして」
身体が温まっていく感覚に小さな溜め息を吐き、少し遠慮ぎみに言葉を送る。
ぎこちないながら礼を言う俺に、一色纏は快さげに頷いた。
「ゆっくり温まって、しっかり落ち着いてください。一人で帰れますか?」
「はい」
「そうですか」
優しく象られた柔らかな笑み。
それはずっと、彼の冷酷な本性を覆う仮面だと思っていたものだった。
「……おや、どうしましたか?」
こちらを労わる笑みから、戸惑いがちに視線を逸らす。
そんな俺の小さな仕草に気付いた一色纏は、不思議そうにして首を傾げた。
「……すみません」
きょとんとした素直な反応に後ろめたさを感じつつ、俺はぽつぽつと躊躇いながら言葉を繋いだ。
「正直…、まだあなたに違和感があって…」
最初のコメントを投稿しよう!