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肌寒い夜の外気が、コートに包まれた体温を奪っていく。
マンションの廊下に、こつこつと革靴の音が鳴る。
すれ違う人もいないまま、独り歩んでいく。
その先で対面したのは、見慣れた部屋番号の扉だった。
長年の家族の記憶が残る家を手離して選んだ、新しい住処の入り口だった。
冷えて震える指先が、躊躇いに躊躇ったあげく扉を開く。
玄関は明るく照らされていた。
そして、真っ直ぐに廊下を進んだ先に見えるひとつの扉。
その1枚の向こう側に広がるリビングも、明るい状態で自分を待っていた。
一歩、一歩と進んでいく。
とても短い距離なのに、足取りのせいか随分長く感じた。
それでも歩みを止めなければ、終着点へと辿り着く。
最後の壁である扉を、開くーー。
「ただいま」
部屋に踏み込みながら、いつもの言葉を口にした。
音のないリビングで、ソファに腰掛けている姿に向かって。
淡白な表情で、無言でこちらに視線を寄せた那月に向かって。
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