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ただいまと言われれば、おかえりと言う。
おかえりと言われれば、ただいまと言う。
一緒に暮らすうちに出来た、合言葉のようなものだった。
けれど、ただいまと言った俺に那月は何も言わなかった。
何も言わずに、俺に向けていた視線を壁時計に移した。
「帰ってくるには早過ぎるんじゃないの」
ソファから腰を上げた那月が、22時にも満たない時刻を確認しながら言う。
「こんな日にまで門限守ってどうするの」
その物言いはどこか刺々しく、冷たいものだった。
帰って来た俺を責め、拒むような声色だった。
歓迎されていないのが、嫌でも伝わって来た。
「別れてきたんだ」
「……」
言葉を聞いた途端に、那月は眉をひそめて難しい表情をしてみせた。
2人だけのリビングが、口を開いた俺を発端に重々しい雰囲気に包まれていく。
心臓が、壊れそうなほど強く脈打った。
「喧嘩でもしたの」
「違う」
「じゃあ戻りなよ」
かぶりを振った俺に、那月は淡々として言葉を突き付ける。
「今から戻って、ちゃんと話し合ってやり直しなよ」
どこまでも冷たい瞳が、向かい合う俺を見つめる。
「やっと見付けた人じゃないか。幸せになれるチャンスなのに」
自分へと一歩近付くことも許さないほど、那月は厳かな雰囲気を湛えていた。
けれどそこまで拒絶してみせるのに、那月はまだ俺の幸せを願ってくれていた。
彼の兄を想う優しさは、こんな態度でも隠し切れずに滲んでしまうのだ。
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