怪談DJ『ゆうかちゃん』

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久しぶりにメールの受信箱を開くと、1通のメールが届いていた。 動画サイトに投稿している私の怪談動画を目にして、自身の体験談を送ってきてくれたのだ。 仮に投稿者を晃治さんとする。 ──自分は幼い頃、とても体が弱く、同年代の子供達と一緒に外で遊ぶ事を禁じられていました。 走り回ったり、興奮したりすると、必ず夜になってから熱を出し、そのまま何日も寝込んでしまう事も少なくありませんでした。 布団の中で熱にうかされ、朦朧としながら窓の外から聞こえる子供達の声を聞くか。 晴れた空を恨めしく見上げながら、部屋の中で静かに本を読んでいるか。 覚えている幼少期の記憶は、ほとんどがこんなものです。 親と一緒に出かけた記憶もありません。 あるのは退屈な病院の待合室、緊張する診察室、痛い注射、苦い薬、怖い先生、優しかった看護師さん・・・。 大概の思い出は病院と直結しています。 幼稚園に行く事もなく、ひたすらに部屋の中で過ごす毎日。 父親は自分の治療費を稼ぐために遅くまで仕事をしており、平日に顔を合わせる事は滅多にありませんでした。 それでも短い時間で出来るだけスキンシップを取ろうと、休みの日には相手をしてくれたのを覚えています。 母親は私の体が弱い事に責任を感じていたのか、今で言う「過干渉」気味ではありました。 正直、大きく息を吐くだけで「どうしたの、具合悪いの?」と心配してくる母親の事が、少しだけ鬱陶しく感じていました。 狭い世界でしか生活することの出来ない現実というのは、思っている以上に幼い私にストレスを与えていたのでしょう。 両親にこれ以上心配をかけてはいけないと、子供心に感じていたのかもしれません。 やがて、私にも1人の友人ができました。 私よりも1歳年上の女の子で、彼女の名前は「ゆうか」ちゃんと言いました。 不思議なのですが、彼女とどこでどうやって仲良くなったのか、そこら辺の記憶は曖昧なのです。 彼女がどこに住んでいるのかも知らなかったし、ゆうかちゃん自身からも聞いたことはありません。 そしてそれは、私にとってはどうでもいいことだったのです。 ゆうかちゃんは、いつだって私の家にやってきて、私の部屋で一緒に遊びました。 リビングで遊んだ事はありません。 夕飯前になると「またね、バイバイ」と帰っていく彼女を見送るのが、とても辛かったです。
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