江崎と仲良くできません

3/4
前へ
/4ページ
次へ
 社会というのは私達人間が集合して造り上げているものだと私は思います。それは意思があり、言葉も喋り、性格は時には残酷で、時には不条理です。仮に「社会」というのを「江崎くん」としましょう。  江崎君は日々私にこう言います。 「お前、もう少し空気読めよ」 「お前、逆らうとはいい度胸してんじゃねぇか、いてまうぞこら」 「お前、邪魔だよ。早くどけ」    江崎君は権力者です。非力な私は彼になにも言い返すことなどできません。故に私は彼に謝る事しか、従う事しかできません。これはジャイアニズムなのではないかと錯覚してしまいますが、そうではないのです。江崎君の考えが大多数の主張そのものであり、少数派が私なのです。結論、私が悪い。  私は確かに非力ですが、もとより江崎君に対抗し、叛逆の牙を突き立てることが出来る者はこの世に数パーセントしかいないのです。その少数の者達は俗にこう呼ばれています。  勇者と。  一見、勇者と云う単語を見えれば正義というワードが連想されそうですが、私が伝えたいのは「強き者」ということです。  現代、いじめが横行しています。報道されているものを見ている限りでは、本当に酷いものばかりです。私はその内容をみて「なんて酷いんだ」と思います。その気持ちは江崎君も同じでした。  現代、オタクは嘲笑の対象になっています。私はその風体を見て感じて「なんて酷いんだ」と思います。その気持ちは江崎君とは違いました。  前者で私と意見が異なり、公的に意を唱える者がいえれば。後者で私と同じ意見で公的に意を唱えるものがいれば、それは勇者であると、私は思います。それが正しいことなのか、悪いことなのかは別として。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加