第5話 誰もいない世界の果てで

4/4
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/74ページ
 「親のおれから見ても梓は普通じゃない。おれは親だから家族だから一生梓のそばにいて面倒を見るつもりだ。文にそこまでやれとはとても言えない。文には言ってなかったが、おれの右耳はほとんど聞こえない」  「それも梓が……」  「そうだ。梓は君を殺しかけて、おれの片耳の聴力を奪った。おれは梓に罪の意識をさんざん植えつける一方、毎日厳しい稽古を強制して梓を徹底的に空手嫌いにした。もう二度と暴力なんて振るえない、引っ込み思案ですぐに逃げ出す女の子になったと安心しきっていた。それがまさか歩や学校の先生を……」  苦しんでいたのはおれや梓だけではなかった。敬承がその苦しみに負けて影と入れ替わるようなことになれば、もう梓を守れるのはおれだけだ。そのことが何より心配だった。  「おれはずっと前から梓を家族のように思ってました。もし梓が誰かを傷つけるかもしれないというなら、おれは梓と誰もいない世界の果てで二人で平和に暮らします。おれはそれ以上何も望みません」  敬承は腕の防具をはずして、ようやく敬承らしい青空みたいな笑顔を見せた。  「もう文に稽古は必要ない。今日で終わりにしよう。文の父さんにもあとで言っておく。君の父さんには文を男にするのに力を貸してくれと言われたが、文はおれなんかよりずっと男らしい」  世界中が戦争に走り出している。その中でおれと梓だけが平和に暮らせるとはとても思えない。  だからこそ夢に見るんだ。誰もいない世界の果てに座るおれの隣に君がいることを。君の手のひらは子どもみたいに小さいけれど、君の手のひらはおれとつながるためにあるんだってことを。今度君に会ったら一番に伝えたいと思う。
/74ページ

最初のコメントを投稿しよう!