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朝稽古という名の生き地獄がたった二回で取りやめになり、おれはほっとしたが、父は残念がった。
「敬承はおまえをずいぶん買いかぶってるようだが、おれはおまえなんか男としてまったく認めてないからな」
なぜ実の父にここまで目の敵にされなければならないのか、さっぱり分からなかった。一方で敬承と歩がおれを実の息子みたいにかわいがってくれるから、梓がいてもいなくても、おれは長内家にいることが多くなった。
そんな父だが梓のことはかわいいようだ。向こうばかり行かないでたまには二人でこっちで飯でも食えというから、日曜の昼、うちに梓を連れてきた。
「梓ちゃん、文に無理やりひどいことされてないか」
梓への第一声がこれ。この人はおれを何だと思ってるのだろう?
梓は無言でうつむいている。父の言い草に唖然としてるのだろう。でも、無言だと誤解されるからできれば笑って否定してほしい。
おれの気持ちが通じたか、梓がようやく顔を上げて、おれはほっとした。
「文君はたまに人が変わることがあるけど、普段はいい人です」
それってどういうこと? ときどきおれがいい人じゃなくなってるみたいじゃん!
父の肩の辺りの筋肉がぷるぷる震えてるのが服の上からでも分かる。これ、まずいんじゃないの……?
「梓も梓だ。なんで誤解されるような言い方をするんだ?」
「午前二時に梓ちゃんを無理やり呼びつけといて、何が誤解だ? 夜中に梓ちゃんが青い顔で現れて何ごとかと思ったぞ!」
おれが? 何の話だか分からない。
「夜はちょっと怖かった、かな……」
おれは上着のポケットからスマホを取り出して、画面が見えるようにテーブルの上に叩きつけた。
「呼び出したってLINEで? 見ろよ。おれは夜中に君を呼び出してなんて……」
午前二時におれが梓に送ったメッセージが残っている。
〈ムラムラして眠れない。今すぐ来いよ〉
画面を見て父が驚いてるが、一番驚いたのはおれだ。こんな文面、書いた覚えも送った覚えもない!
「文、生き地獄と本当の地獄、どっちが見たい?」
どっちも嫌です!
おれの心の声は誰にも届かず、父がテーブル越しに正面から拳をおれの顔面にめり込ませた。椅子ごと倒されて、おれは真後ろに吹っ飛ばされた。さすがの母もまったく父を制止しようとしない。当然だと思った。
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