漣(さざなみ)

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何とかならないの。幾度もそう尋ねられた。 無理だ、これが俺の仕事だ。いつも答えは 同じだった。彼女は普通の家庭を築きたいと 告げて去っていった。 やがて、故郷にいる弟夫婦に看取られて 父も母も亡くなった。賢一は遺産相続を 放棄してパリに戻った。四十歳を過ぎた頃、 日本とフランスを行き来することに疲れ、 近い将来仕事をやめて、このままこの国に 骨を埋めようと考えた。 夏季休暇と有給休暇の取得期限が迫り、 まとめて四週間休めと本社から指示された。 剣道部のOB会の案内が届き、久しぶりに 日本に帰る気になった。その間の住居を 探してインターネットで検索していると、 見覚えのある景色が画面に表示された。
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