彼の場合

2/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
薄暗い店のカウンターで、天使が通る静けさの中、彼女はグラスを上げ、 「チェイサーと同じものを一つ。」 静寂を切った。そして突然 「ねえ。どちらを選ぶ。」 「眼鏡があるの。かけると目の前の人の過去が覗ける眼鏡と、  未来が覗ける眼鏡。どちらをかける。」 彼女は正面をぼんやりと眺めながら、新しいグラスを傾けた。 僕は初めて投げかけられた質問を真摯に受け止め、頭の中で反芻した。 その人の過去か、未来か。 もう一度彼女の方に向きかえり、僕が覗いてみたいものを 思い描いてみた。過去か未来か。 どのくらい考えていただろう。誰にも急かされることなく、ゆっくりと考えてから 堰をきって声にしてみた。主語である『貴方の』を省くことに気を付けながら。 「もし、そんな不思議な眼鏡があるのなら、僕は・・・過去を見てみたいです。」 「・・・形成してきたものが何であるか。何を経験し、何に笑い、何に悩み涙したのか。  さらにその人を知るために、深く興味を持つためにその人を丸ごと知りたいです。」 僕はいつもより少し早口で紅潮した頬をお酒で胡麻化すため、手元のグラスを一気に開けた。 少し間をおいて、彼女は薄笑いを浮かべ小さく頷きながら 「そう。」 際して興味もなさそうに相槌をうった。 僕はもう一度彼女を凝視してみたが、沈黙の間、敗北感に打ちひしがれた。 そして、この店を出たら、2度目がないことを悟った。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!