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「あまりピンとこないかもしれませんが、名前を思い出せないことは、自分の半分を失うことに等しい。それは辿ったきた道も進むべき道も、見失うということ。あなたは、この世界で迷子になってしまってしまったのです。そして、はっきりとは言えませんが、おそらくあなたは…」
そこで言葉を濁す。それまで真っ直ぐと私を見ていた目がふっと逸らされた。
「…私は?」
私が次の言葉を急かすと、ロルは先程よりも少し小さな声で言った。
「あなたは…
この世界から帰ることができません」
一瞬にして、目の前が暗くなるのを感じた。
帰ることができない?そもそも私はこんなところに来るつもりなんてなかったのに、知らない間にこんな世界に放り出され、帰れない?
迷子と言ったって、そこらの公園で迷子になるのとはわけが違う。ここは私が今までいた世界ではないのだ。
いやだ。帰りたい。私は帰るのだ。
でも、どこに?どうやって?
「意味が、わからない…なんで…」
消化できない思いは涙となって溢れた。声にならない声で、なんでなんでと繰り返す。とても「はい、そうですか」とは言えるような状況ではなかった。そんな簡単に受け入れられなかった。
涙は溢れ、嗚咽が漏れる。
呼吸が上手く出来ない。
「落ち着いてください」
優しく力強い声とともに目の前が暗転した。まるで目隠しをするように、目を何かで覆われている。それがロルの手だと気づいたのは数秒経ってからだった。
「え…?」
「どうか、泣かないでください」
暗闇でロルの声が聞こえる。その瞬間ふんわりとカモミールの香りに包まれた。とても心地よく、落ち着く香りだった。
「さあ、深呼吸して。大丈夫ですよ」
まるで子どもをあやすようなその優しい言い方に、私は素直に従う。吸って吐いて、吸って吐いて。
いつの間にか涙は止まっていた。
ロルの手がすっと外され、目の前が明るくなる。
「本当にいつ見てもすごいね。ロルの"それ"」
頭の上で手を組みながらクロが感心したように言う。それが聞こえているのかいないのか、ロルは微笑みを浮かべたまま小さく小首を傾げただけだった。不思議なことに呼吸も気持ちも、先程までのことが嘘のように落ち着いていたた。思わず「魔法みたい…」とロルを見つめる私に、「みたいっていうか、魔法だからね」とクロは呆れたように言った。
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