10年

11/18
前へ
/146ページ
次へ
刀狩りも終わったし、次は検地だな。 徳川家康は太閤検地の石高を知っている。しかし、公の物としては通用しない。 きちんと単位を統一し、検地帳を作成してこその検地である。 同時に宗門別人別帳の作成を命じた。現代の戸籍である。宗門別人別帳の筆頭者が、必ず検地帳に記載されることになる。 そして、ここでも事件が起きる。
/146ページ

最初のコメントを投稿しよう!

140人が本棚に入れています
本棚に追加