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もし記憶と願望が夢の本体であるなら、その夢が記憶を増幅させる記憶と夢の関係は、不思議だと思う。
年に2,3度見る夢がある。
高校時代、電車通学をしていた時期がある。私の住んでいた町の駅は始発駅だったので、座ろうと思えば何時でも、座れたのだが、私は立っていた。
面白いもので、朝の電車には、それぞれの立ち居地が決まっている。 私の場所は、運転席の後ろ左側の扉がある角だった。
その角にもたれていると、吊革を持つ必要も無く、周りの人から押される事もあまり無く、簡単に降りれるからだった。本を読む事もあったが、大概は、ヘッドフォーンで音楽を聴いていた。今の子達は知らないだろうが、カセットテープの時代だ。90分しか録音できないテープを何度も、何度も聞いた。
薄っぺらい鞄とギターバックを肩に掛け、何時も不機嫌そうな顔をしていたと思う。その上、ウォークマンの音量は最大に上げていたので、その音のバリァーが他の人を遠ざけていた。今、考えれば、本当に失礼な奴だった思う。
しかし、どう考えても朝の通勤ラッシュには、場違いな感じがするその人だけは、そんな事は気にしないかの様に、何時も私の横に立っていた。
その人は、小柄と言うより、小さな人と呼ぶ方が相応しい程、華奢で小さく、背丈は私の肩よりも少し低く、その小さな顔には、大きな丸っこいメガネが、可愛らしくのっかっていた。そして、時代ハズレなフランス人形の様な可愛らしいドレスと、レースで飾られた日傘、波打った黒髪。その丸眼鏡を掛けていない時も有ったが、大概の場合は掛けていた。伊達眼鏡だったのだろうか?
たまに、クラスメートがそこにいる事もあった。彼らは、その人を ”日傘眼鏡” と呼んでいた。
私が見る夢は、その人の夢だ。その人に特別な感情を抱いた事は一度もなかったのだが、何故そんな夢を、今だに見るのだろうか?
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