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毎日、炊事に洗濯、掃除をして。帰りが遅い夫の夕飯は別で作って。親という同士のように夫と過ごすようになった。母という役割を果たして、昼間はパートに出掛けていた。母の苦労がやっと分かるのに、こんなにも歳を重ねてしまったようだ。そんな自分に苦笑を漏らす。 「お母さん、お母さんって大変なんだね」 「あら、やっと分かったのかい。…でも、辛くはなかったわよ。あんたがいたからね」 その言葉に、少し泣きそうになった。 “杏ちゃんは泣き虫だからなぁ” そんな夫の声が聞こえてきそうな気がした。 父と仲違いをして、それでも成人になるまではと夫婦を続けてくれた両親を尊敬する。もし私が夫と同じようになったら、私はきっと杏理の成人まで待てないだろう。いくつになっても、きっと私は母には勝てない気がする。それが、母というものなのかもしれない。 杏理が一人暮らしをしたいと言い出したのは、就職が決まったときだった。 「あんた、料理とか洗濯とかできるの?掃除だって自分で全部やらなきゃいけないのよ」 家の手伝いをあまりさせてこなかったことを、こうなって初めて後悔した。夫が、たまにはお母さんの手伝いもしなさい、と言ってくれていたのに。思春期の子供が親の手伝いなんてしたくないことは想像できていた。 「大丈夫だよ。お母さんの手伝いはあんまりしなかったけど、小さい頃から見てたし、バイトでお金も貯めたから。一人で生活をしてみたいの」 そう言った杏理は、もう手の掛かる子供ではなくなっていた。 「杏理がしたいようにしたらいいよ。たまには帰ってきてくれれば、父さんたちも寂しくはないから」 口うるさい私とちがって、夫は優しくそう言った。杏理や家のことを私に任せていたから、夫はほとんど杏理に対して小言を言うようなことはなかった。これもきっと役割分担なのだ。二人が口うるさくしていたら、杏理はひねくれていたかもしれない。 「困ったら、いつでも言いなさいね」 私も、だからもうそれだけしか言わなかった。 その日の夜は、母も含め家族四人で少し豪華な食事をとった。久しぶりに腕を振るった私の料理を、みんな美味しいと言ってくれていた。家族四人で囲む食卓は少しだけ久しぶりで、この光景ももうすぐ見納めなんだと思ったら妙に胸が苦しくなった。
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