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「やっぱり、寂しいもんは寂しいな」
寝室で夫がそう漏らす。
残業で遅くなった日も、なるべく杏理が寝る前に帰ってきて「おやすみ」と言っていたのを見てきた。杏理よりいつも先に出ていく朝も、必ず「いってきます」と私たち家族に言って出勤していっていた。
「これからは、急いで帰ってこなくても大丈夫ね。私は起きて待ってるから」
「はは、そうだな。でも、俺よりも杏ちゃんの方が寂しいだろう」
「ひろくんよりも杏理といる時間が少し多かったから、やっぱりね」
「…やっぱり、仕事が終わったら真っ直ぐ帰ってくるよ。杏ちゃんが寂しいのは嫌だからね」
「ありがとう」
そうして、二人でベッドに入って寄り添って眠った。
もう、妻に戻っていいんだよ、そう言われている気がした。杏理を中心に回っていた生活が、終わりを告げるのだ。
この20余年、夫に対して妻としてちゃんとしてこられたのだろうか。家事をするだけなら家政婦と一緒だ。そうじゃなく、ちゃんと妻としての愛情を注げたのだろうか。なんてそんなことは今更聞けなくて、彼の胸に甘えるようにくっついて眠りについた。
「杏理さんを、お嫁に下さい」
挨拶に来た杏理の彼に頭を下げられたとき、私たちはもう50歳を越えていた。彼の緊張がこちらにも伝わってくる。夫も一緒になって緊張しているようで、なんだか笑ってしまいそうだった。
ずっと、電話で杏理から話を聞いていたから、これまでの二人のことは知っていた。夫にも少し私から話してはきたけれど、杏理からはあまり夫に話していないようで、どこか切なそうにしていた夫を私は隣で見てきた。
「幸せにやりなさい」
少し話し込んでから、最後に夫はそう言った。どれだけの思いが詰まった言葉かは、杏理にも彼にも、ちゃんと伝わっているように見えた。だから私はもう、ほとんど口を出さなかった。口うるさいお母さんは、杏理が家を出た時にもう卒業したから。
結婚式は、私たち夫婦ともども号泣だった。涙もろいのは親譲りのようで、杏理もせっかくの花嫁衣裳で整えた化粧をボロボロにしながら泣いていた。
私たちの結婚式に母が贈ってくれた言葉を、気付いたら私も口にしていた。
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