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夕刻。
人気のない畦道。
庄司翔也は足を速め、前を行く野々宮野乃との距離を一気に縮めた。靴音に反応して彼女は足を止め、顔を後方に振り向けた。
その顔から、庄司翔也は素早く眼鏡を取り外した。
眼鏡を掛けていない野々宮野乃は、目が細く見えた。その細い目を限界まで見開いて庄司翔也の顔を凝視する。彼は眼鏡を奪い取った右手を自らの胸まで引き寄せ、彼女から遠ざけた。途端に彼女の頬に朱が差した。
「返して!」
叫び声を上げ、庄司翔也に向き直ると共に右手を眼鏡へと伸ばす。彼が咄嗟に右手を上げたため、野々宮野乃の右手は眼鏡ではなく空を掴んだ。
「返してよ!」
背伸びをすると共に右手を上方に伸ばし、庄司翔也が掲げるものを奪おうと試みた。彼はそれに対抗して自らも爪先立ち、右手を天高く伸ばした。身長差があるため、野々宮野乃の右手は彼の右手には届かない。
「返して! 返して!」
野々宮野乃はジャンプをして身長差を埋めようと試みる。庄司翔也は右手を巧みに前後左右に動かし、彼女の手が眼鏡に触れることを決して許さない。
野々宮野乃と児戯じみた遣り取りを交わす庄司翔也の心は、感動に打ち震えていた。
野々宮野乃に注目し始めた理由。
野々宮野乃が休み時間、自席に凝然と座り、自らの机の天板を凝視して過ごす理由。
二つの謎は同時に解けた。
庄司翔也も野々宮野乃も、孤独感を紛らわせるパートナーが欲しかったのだ。庄司翔也が野々宮野乃の横顔を眺めるのも、野々宮野乃が自席に凝然と座り自らの机の天板を凝視するのも、それ故だったのだ。
二人は無言のシグナルを一方的に相手に送信するばかり、一歩を踏み出せずにいたが、野々宮野乃の眼鏡が見事に仲人役を果たしたというわけだ。
「返してよ! 返して!」
野々宮野乃はなおも眼鏡を取り返そうと奮闘する。
庄司翔也は眼鏡を頭上に高々と掲げたまま、奪ったものを返却するタイミングと、その際に口にする言葉について思案し始めた。
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