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 ほとほと、と。小さく、高く、覚悟の音が鳴る。  部屋の主たる私の承諾は待たずに、静かに開く戸。  私の恐れる唯一の客が今日もやって来た。  何も言わず、部屋の真ん中に座る。  私も、何も言わない。 「おいで」  この方に悪びれる様子など欠片もない。当然といった貫禄で手招きをして、私は、幼子のようにそれにならう。  少し広げられた左右の足の間に挟まるように滑り込み、素直に抱き締められた。 「今日はやけに素直だね」 「いつも素直でないような仰りようですね」 「違うのかい」 「私がご威光に背くことなどありましょうか」 「ふっ。そんな殊勝なオンナではなかろう」  その台詞が終わらぬ内に、その手は脇から胸へと滑り込み、軽く私の上体を倒しその腕に抱き止めて、露にした首筋に舌を這わせる。  晩婚だった私は、たった2年で夫を亡くしたというのにその時にはもうアラサーで、華やかな宮中に出仕したのはそれから更に5年後。  自由な恋愛気風に乗って浮かれるような年齢では既になく、内向的な性格と強情な気質、値踏みする視線への反発心も大きく作用して、『亡き夫を偲ぶ貞淑な寡婦』の態度を私は崩さなかった。  だから、この方との関係が始まったとき全く久し振りの情事だった。  しかしかつて新婚の時の胸の高鳴りとは別の緊張が以後も常にまとわりついた。  行為が気持ち悪いのではない。  むしろ、天下人だけある躊躇のない手馴れた仕草に安定感があり、自己中心的傲慢さが鼻につくものの、元来の人好きする明朗さと軽快な無邪気さが私を惹き付けた。  たぶん私は、打算以上に殿を好いていた。  ただ、その好意と同じくらいの大きさに育った持て余すほどの嫌悪感に近い戸惑いも、自覚していた。
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