届かぬ叫び

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届かぬ叫び

「なんかあったら電話しといでや?」 「うん、ありがとうお母さん」 「ほな、バァバら帰るわな。けいちゃんも元気でな」 そう言って、父と母は車を走らせ帰っていった。 大阪から片道6時間 夫の敏史に転勤の辞令が出たのは ほんの2週間前のことだ。 5歳上の敏史とは社内恋愛で結婚して3年 少々頼りない面もあるが 温厚な敏史とはこれまで大きな喧嘩をすることもなく 結婚2年目に慶一が生まれた。 33年間生まれ住んだ大阪を離れることは 奈穂子にとって、人生で一番大きな変化といえるかもしれない。 「やっぱり思ってたよりだいぶ田舎やなぁ」 ベランダから辺りを見渡し、敏史が言った。 「ほんまやな、田んぼしか見えへん。」 その時 隣の部屋のドアが閉まる音が響いて聞こえた。 大阪のマンションは駅から近かったこともあり 日中は電車の音や近くのビル建設の工事の音など 何かしら外からの音が聞こえていたせいか 近隣の生活音などほとんど気にならなかった。 慶一はよくおとなしいほうだと言われるが 以前のマンションとは違い、これだけ静かなら音も響くだろう。 それを考えると1階がよかったのだが 2階の角部屋しか空きがなかった。 引っ越しと同時に車を購入したこともあって 払える家賃も限られていた。 それ以前にこの界隈はとにかく物件が少なく 敏史の通勤に比較的便利な条件で選んだこの物件だって、会社へは片道1時間 駅までは徒歩20分 一番近いスーパーへも徒歩で30分はかかる。 昼間、慶一と二人きりの生活 ここでは車なしではとても暮らせない。 「けいちゃん、この部屋気に入ったんか?」 慶一は床を叩いて、嬉しそうにキャッキャとひとり遊びをしている。 静かだし、空気がとても綺麗だ。 多少不便ではあっても 大阪市内よりも子育てにはいい環境なのかもしれない。 全く不安がないわけではなかったが、うまく暮らしていけそうな気がした。 「奈穂子~、腹へった。パン買いに行けへん?パン屋は近くにあったで」 「待って、その前にご近所さんに挨拶しに行かな。」 用意していた粗品のタオルを5つ、敏史に手渡した。 「俺こーゆーの苦手やねんなぁ」 「最初が肝心なんやから、ほれ、行くで」 ブツブツ言う敏史を促し、慶一を抱き上げて部屋を後にした。
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