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〔1〕
深く、濃い霧が行く手を閉ざしていた。
オレンジ色のフォグランプが照らし出す、黒いアスファルト。センターラインのない狭い峠道は、路肩を外れた途端に傾斜する雑木林に嵌り、悪くすれば崖下に転落する危険がある。頼りとなる前方の車のテールライトが、曇ったフロントガラスに滲んで見えた。
秋本遼は、フロントガラスをタオルで拭い小さく溜息を吐いた。すると運転席でハンドルを握っている青年が、からかうように笑う。
「この霧の中、アイツはどこまで先に行ったのかねぇ? 崖下に転がってても、これじゃわからないなぁ……霧が晴れなきゃ助けにもいけないぞ」
「……笑えない冗談はやめてください、アキラ先輩」
少し癖のかかった栗色の前髪を掻き上げ、遼は須刈アキラに冷たい視線を投げた。
「失言でした……謝るからさ、そういう目で見ないでくれる? 優しい顔してるくせに、怒らせると恐いんだよなぁ秋本は」
「アキラ先輩に言われるのは、心外ですね」
肩を竦めたアキラに苦笑して、遼は再び窓の外に目を向けた。
風に流されていく霧はまるで乳白色の液体のように見え、その向こう影のように薄くぼんやりと見える雑木林の奥が、徐々に暗さを増していく。じき夕闇に閉ざされ、さらに視界が悪くなるだろう。
「地図を見た限りじゃ目的地まで一本道だし、林道に逸れる道は未舗装で立入禁止の柵があるそうだから迷うこともないだろうが……やはり、篠宮を止めるべきだったかな」
そう言ったアキラの口調には、先ほどとは違い本気で心配する様子が伺えた。
「無駄ですよ、優樹は言い出したら誰にも止められない」
呟いて遼は、霧に閉ざされた行く手を見据えた。
私立叢雲学園高等部三年生、秋本遼は来春医大を受験するつもりだった。
看護師である母から医療現場の現実や苦労、力が及ばず命を失う悲しみを聞いて育つうちに、いつしか医療に関わりたいと思うようになったからだ。
しかし親友である篠宮優樹に誘われ、ゴールデンウィークは予備校の強化合宿を蹴って友人と過ごすことに決めた。
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