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◇
翌朝早く、まだ夜の明けきらぬうちに義時一行は兼光のもとを発っていった。その日は朝靄と言うには余りに濃い霧が立ちこめ、隣に立つ者の顔さえはっきりとしないほどであった。
「せめて霧が晴れてからお出かけになればよろしいのに」
「なんだ、美那。そなたそれほどに名残惜しいのか」
兼光は瞬く間に霧にまぎれ見えなくなった義時を、この可愛い妹は何時までも見送っていたかったのだろうと解釈した。しかし翳りのある美那の表情は、ふと不安を抱かせる。
人は幸せの中にあると、悲観的に物を考えることで我が身を守ろうとする。万が一の心構えと考えれば仕方のない事であろうが、危険を伴う事態が起こりうるとは思えない……。
(されど……愛しき者に関しては、女は格別感が働くと言う……)
この霧が晴れれば、不安な気持ちも共に拭い去られるだろう。兼光は、朝霧にぬれた美那の肩を優しく抱くと、庵に足を向けた。
しかし、期待を裏切るかのように霧は真綿のような帳をあげる事なく、濡れて漆のように輝く紅葉が色あせる頃……。
義時が、人とは思えぬ無惨な姿となって還ってきたのだった。
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