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「さて、当代もそろそろ終いのようです。数多のきょうだい達の中で最も愚かな私達の子よ。聞いているね」
薄く開かれた瞼から覗く、白内障で青く変色した目が、閉ざされた障子を見遣る。
人影は見えても、呼び掛けになんの反応も示さなかった。
アレには、親に対する特別な情はない。
それは親の臨終に立ち会っている今も、一貫しているようだ。
「矢潮、君は誰よりも愚かで罪深い。だが、誰よりも賢く、強い。次の私が現れるまで、母を頼みたい」
「冗談はその呪われた魂だけにしろ。私には、何を差し置いてでも護るべき人がいる。あんたらの我儘になぞ、構ってやるものか」
一蹴。
憎しみすら篭った返答だが、子の発言にはいちいち頷けた。
『冗談』のくだりは尤もだし、こんなのに自分の身を任せたくもない。
それに何より、己のつれあいへの情と執心の度合いが、此れに似つかわしくないほど溢れているのが良い。
子の、想定通りの辛辣な態度と、最愛のつれあいの為ならば、平気で親を見捨てるその潔さに、思わず、噴き出してしまった。
「揃いも揃って、憎まれ口を叩く。まったく、仕方のない人達だ」
そう呆れる貴方だって、言葉のわりに笑っているではないか。
本当に死に際なのか、と疑ってしまいそうな、貴方と私のこの軽いやりとりが、終末にこなれた感がして好ましくない。
「ねえ、次こそどうか、私を貴方の逝く場所に連れて行って。互いが狂ってしまう前に」
愛しているのだ。
とても愛している。
たとえ一時でも、離別は辛いのだ。
次に逢えるのはいつだろう?
逢えない間は、貴方を想い続けて、胸が苦しくて泣き暮らすのだ。
そうして、やっと逢えたと思ったら、貴方は赤子で、私はまた貴方を育て直す。
貴方が成長して、老いて死ぬまで育て上げるのだ。
狂っているな。
だが、それでも貴方とならば乗り越えてみせる。
「私は何度生まれ変わっても、貴女に惹かれ、愛してきました。今も次も、それは変わりません」
貴方のその言葉を希望に、私は孤独に堪え続けるのだろう。
「また逢いましょう、私の愛しいひと」
ゆるりと薄い瞼が閉じられ、浅い息が続く。
呼吸は時間をかけて緩やかになり、最期がいつかもわからないような、消え入るような途絶え方だった。
死を幾度となく経験した者のみができる死に方なのかもしれない。
私はまた、独りになった。
「またね、私の愛しいひと」
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