開かずの踏み切り

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 その代わりに、私は地面に小さく空いた穴に人差し指を突っ込み蝉の幼虫を掘り起こし、落ちていた木ぎれと一緒に虫かごに入れてやり、持ち帰ることにした。  その晩は一階の和室に二組の布団を敷き、孝と一緒に枕元に虫かごを置いて寝た。幼虫が動き始める音で二時ぐらいに私は目を覚ました。やがて幼虫はゆっくりと木切れにしがみつき始めた。そこで孝を揺り動かし起こした。孝は、寝ぼけまなこ眼をこすりながら、 「蝉が動いとる」と小さくつぶやいた。  蝉は木ぎれの上に爪を立てたあと、背中が割れて白い成虫が顔を出し始める。成虫はまず、上体を殻から出し、足を全部抜き出し、腹で逆さ吊り状態にまでなった。その後、足が固まると体を起こして腹部を抜き出し、足でぶら下がってはね翅を伸ばし始める。翅は白いが薄い緑色が混じっている。しばらく蝉は動かなかったが、辛抱強く観察していると、少しずつ体が茶色に変色し始め、翅は白色から脈が浮き出た透明色に変化していったのである。それは静寂で、恐ろしく神聖な時間であった。 「うおー」と小さな驚きの声を上げながら観察している孝の目は輝きを帯びていた。やがて、完全に成虫になった蝉は翅を動かし始めたので、私は虫かごをつかみ、 「逃がしてやろう」と提案した。ぐずると思っていた孝は意外にも「うん!」とすぐに賛成したのである。  二人はそろりそろりと忍び足で歩き、玄関を開け、神社に向かった。大木の下で孝が、虫かごから蝉をつかみ出し、ゆっくりと空めがけて放した。蝉は弱々しく翅をばたつかせながら木の茂みの上の方へ飛んでいった。特別な時間を二人で過ごすことで、今まで感じなかった兄弟の絆というものを感じ始めていた
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