開かずの踏み切り

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 出産は我が家で行われることになった。  うちの家は父が婿養子なのである。  妊娠してから母は奥の間の床に臥すことが多くなった。  五月三日、憲法記念日に母が産気づくと、すぐに産婆さんが電話で呼ばれた。自転車に乗ってやってきた初老の産婆さんを見ると「大丈夫かな」と不安になったが、その指示はてきぱきとしていて、祖母が「さすが堂に入っている」と感心したものだった。  私は、湯を沸かしたり、大きなたらい盥を運ぶ手伝いをした。  私と父は隣の和室で控えていたが、母の力む声と産婆さんの  「もうちょっとや!」と励ます声が聞こえると、母が遠い所に行ってしまうのではないかという不安がよぎったりした。  母の悲鳴が低く聞こえ、一瞬の静寂の後、 「おぎゃー」という甲高い声が響き渡った。  しばらくすると、障子がゆっくりと開いて、産婆さんが現れ、真綿にくるまれた赤ちゃんをそろりと抱きながら、         「男の子やで!」とニコニコしながら、下半身を見せてくれたのである。  私は、自分の弟をまじまじと見つめた。小さな猿のようでとても人間には見えなかったが、 「これで、自分はお兄ちゃんになるんだ」という自覚らしきものが芽生えたのである。  私はひのえうま丙午の生まれで、赤ちゃんも同じ午年で一回り違いの年の離れた弟の誕生に、私だけでなく家族みんなが興奮していた。  弟は父によって「孝(たかし)」と名づけられた
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