開かずの踏み切り

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 しかし四回生になり夏の大会初戦で敗退し、教員採用試験の一次試験で不合格になった私は久しぶりに時間を持て余すようになった。  そのころの孝は小学四年生で、お互い時間がたっぷりあるものどうしという連帯感からか、十年ぶりぐらいに二人だけの時間を楽しむようになった。  孝とキャッチボールをしようとしたのだが、ボールを満足に投げたり受けたりできない。  その頃の子どもたちはファミコンという家庭用ゲーム機が普及し、家の中で遊ぶことが多くなり、外でみんなと遊ぶということが極端に少なくなっていたのである。  そこで、私は兄貴風を吹かそうと、孝に野球を一から教え始めた。孝の上達は早く、お兄ちゃんらしいことができなかったという私の負い目みたいなものを少しずつ切り崩すことができたのである。
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