1章

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 どうやら世界は知らぬうちに変貌していて、自分は物語の登場人物になっていたらしい。  長い黒髪をおさげに結った六つの少女、高城結衣は、やってきたスーツ姿の男の話を聞いてそう思った。レネゲイドは、彼女に未知の世界を歩む頭脳と既知の世界を置き去る恐怖を連れてきた。  彼女の世界が非日常へ傾いたきっかけ――「覚醒」は、ただの探究心だった。結衣は昔から本を読むことが好きだった。幼い頃から夜は寝る前に必ず本を読んでもらっていたし、文字を覚えてからは自分で読むようにもなっていた。  そんなある日、歳の離れた兄に買い与えられた、国語辞書に惹かれて手を伸ばした。こんなに分厚い本を見るのは初めてだった。分厚い本を読めるようになったら、少し頭が良く見える気がしたのだった。  開いた瞬間に、目眩がするほどの情報が頭の中を駆け巡った。その圧倒的な物量に、微動だにできずに固まった。その辞書は初めて手にとったはずなのに知らぬ言葉はただのひとつもなく、目に見えるすべてが、彼女に知識を与えていた。  世界の見え方がほんの少し、けれど確かに色を変えた瞬間だった。 「おにい、おにい。私すごいよ!」  両親は町工場を切り盛りしている関係上なかなか結衣と兄の面倒を見ることが出来ず、歳の離れた兄は半ば親代わりのようでもあった。結衣もよくなついており、何かあれば兄に報告するような子どもだった。  とはいえ今度ばかりは結衣が彼女なりに丁寧に説明をしても、兄はなかなか理解してくれなかったけれど、そのうち彼女のお下げ頭をなでてくれた。彼なりに理解はしたらしい。  それからというもの、家にある本ではあきたらなくなった結衣を連れて、兄は図書館などによく赴いた。百科事典や専門書の棚から書籍をいくらか本を引っ張り出して、大人用の公衆机に広げては椅子に膝立ちになって読み進めていった。  行儀が悪いからちゃんと座れ、と兄にはいくらか注意されたけれど、結衣がきちんと座るには大人用の椅子は大きすぎ、本が全く読めなくなってしまう。そう訴えれば、しぶしぶといった感じで彼も見てみぬふりをしてくれるようになった。周りの目はとても変わったものを見るようなものだったけれど、別に本も椅子も汚しているわけではないからいいよね、と図書館司書の面々と友達になりがてら説得した。
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