第1章

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「またね」 「また後でね」 それが私と伊藤正との最後の会話だった。 冴えない男だと周りには言われたけれど私は実直で真面目でチャラチャラしていない彼が高校時代から好きだった。だから彼に告白された時、私は嬉しさのあまり何も考えられずに泣いてしまった。 しかし付き合って暫くしてから解ったことがある。 彼は食生活をおざなりにしやすくて毎日昼ご飯も夜ご飯もコンビニ弁当で済ませていると聞いてから何度か料理を作ろうと考えていた。けれども彼は一人暮らしだけれど私は実家なために中々そういう機会もなくやっとのこと父の出張を切っ掛けにお泊りデートが出来るはずだったのだ。 彼の大好物のジャガイモと豆腐のお味噌汁、ホウレン草のおひたしに肉じゃが。男ってどうしてこうお袋の味的なものが良いのだろう。折角ならもっとおしゃれなパスタとか作ってみたかったのだけれど。彼は経済学部で私は同じ大学の別の法学部にだった。 照れ笑いする可愛い彼から朝の一限が始まる前に合鍵をもらった。晩御飯の材料をあらかじめ買っておいて、帰りに合わせて調理しようと思ったのだ。初めて合鍵を貰ったのに浮かれてしまったのか、それとも初挑戦の料理に不安で焦っていたからか。私は信号無視した車に気が付けなかった。 急ブレーキのキキーッという甲高い嫌な音と、何か重い物がぶつかる感触。不思議と痛みはなくてすべてがスローモーションに感じたのを感じた。 「ああ、せっかく買った材料がダメになっちゃったな」 事故ったにも関わらず何処か他人事のように飛んで行ってしまったスーパーの袋を目で追いながら体が地面にぶつかった瞬間、私の意識は世界中の電気も太陽も落ちたように暗くなった。そして、意識が戻った時に初めて見たのが自分の轢死体だった。 周りには既に人だかりが出来ていて項垂れるトラック運転手にパニックになりながらも救急車を呼ぼうとする親切な人。けれどもこれはどう見ても助からない。それ位に私の後頭部は悲惨な事になっていた。 「ここまで見事だと逆に冷静になっちゃうわね」 私の肉体は青いカーディガンが赤くしみてしまい白いパンツも赤く汚れてしまっていた。けれども一つ良かったのは零体である私に汚れはない。 周りのパニックさと自分の身体の凄惨さのせいか私は自分が亡くなっている事を不思議となんの感情もなく納得できてしまった。
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