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そういえばこの人には話していた。彼女は先に生まれた兄が10歳の時に亡くなり、彼女はその後に出来た子供。父母は既に高齢。瞼の裏に懐かしい人たちの姿が映る。懐かしい故郷の山々も。
「春海さん。私の田舎の話、覚えてる?」
「たしか、こことよく似てるとか」
「そう。北京からバスで4時間かかる山の中。もっと山高い。何もない。スーパーも病院も仕事も」
あるのは山と少しの畑。今でもそれは変わらないだろう。
「日本に来るときに初めて海を見た、と聞きました」
「そう。だから、海の漢字使う名前、周りに無い」
ポケットに入れてある彼女の名刺には名前に海が入っている。
「貴女見たとき、私と同じ中国人かと思った」
ああ、と春海も頷く。
「中国語で、話しかけられましたもんね私。日本人ぽく見えないんでしょうか。韓国の人からも話し掛けられます。こないだはベトナム出身の人に」
「ホントに?」
「大陸顔って言われますね」
可笑しさで思わず声を立てて笑う。春海も珍しく口に手を当てて大きく笑っている。いつもは穏やかに微笑んでるだけなのに。
「春海さん笑い声立てるの初めて見た」
「そうですか?」
「はい。いつもは真面目な顔か、悲しそうな顔か、微笑んでるくらい」
笑い声を納めた春海は、ふっと息を吐く。それは私が貴女の表情をそのまま返しているから。
春海は客の表情に合わせて似た表情を作る。話をきちんと聞いていると相手に伝わりやすい接客テクニックの一つだ。
貴女はいつも寂しげな顔をしている。
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