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そこで昔なじみに連絡を取った。夫と知り合うきっかけになった店。25の時に中国の田舎から出てきた雪華が世話された、中国人ママが経営するスナック。取り合えず、来週から彼女はまた勤め始める。ママは日本に住んで30年だから、雪華も何かと心強い。何より、母国語で話せる。悲しみを日本語で伝えるのは、難しいわけではないけれど、硝子越しに話している感覚が抜けない。何よりそんなに知り合いが多い訳でもない。
隣の奥さんか、町内会長さん。よく行くスーパーの、店員さん。
友達なんていない。信二郎がよき伴侶であり唯一の友。
『心細くなったら電話してください』
そう言ってくれたのは社交辞令?セールストーク?
「それでもいい」
今の彼女は誰かと話したい。歳の近い誰か。深く事情を知ってくれていて、赤の他人。さらりと欲しい言葉をくれるかもしれない人。
『綺麗な名前ですね』
契約書にサインした時に言われた。私は名刺に書かれた字に驚いた。
雪華の指がナンバーを押す。
「はい」
この声だ。
「私、陳です」
「…………シェホゥアさん?」
「そう」
覚えていてくれた。4年前にベッドを入れ替えに来て以来、音沙汰無しだったのに。
「どうされました?何か要りような物が?」
「うん、はい。というか、買い取って欲しいです」
電話の向こうで、息を呑む音がした気がする。もう、何か察したのか。それとも予想通りと思ったか。
「彼、死んだ。ベッド、要らなくなった」
段々と鼻声になって行く雪華に以前と変わらない優しい声が響いて来る。
「何時にお伺いしたらいいですか?」
よかった。雪華は安堵の溜息をついた。
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