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前方からぐぐもった音がした。もしかしたら悲鳴なのかもしれないが、動かなくなった方に聞く訳にもいかないだろう。
唸るエンジン音、半液体状の重い水音、笑い声。目の前で繰り広げられている事、全てが非現実的で、気味悪い夢かそれともホラーゲームに迷い込んでしまったように、麻痺した脳と心は思考と受容力を止めた結果、現実感が一切沸いて来なかった。
「最高にハッピー!」
赤く染まった女性は高々にチェンソーを上げ、勢いよく僕の顎の位置まで振り下ろして制止する。
何と言う腕力と握力だろうか。女性があんな重い物を楽々と扱うとは。職業ゾンビハンターでも納得できる。
そう今まさに街にはゾンビが溢れ、多くの人々が悲鳴を上げ、または隠れてゾンビから逃げ回っている惨状だった。ゾンビの返り血を存分に浴びて笑っている。
「ユー、ハッピー?」
酔っぱらいのような変な節回しで、唸りを上げるチェンソーをマイク替わりに僕へ近づける。
「え、は、ハッピー?」
戸惑いながら答えた僕の返答に満足したのか、女はにんまりと満面の笑みを浮かべてゾンビの集団が固まっている所へ飛び込んでいった。
ゾンビの足元には哀れな犠牲者の一部が見え隠れしていて、視界に入った途端、僕は目を反らした。
「ひゃほーぅ!!」
女の声を聴いて咄嗟に視線を戻す。
ハイテンションの女はまるで紙でも切り裂いたかのように、次々と切り倒していった。
ゾンビには目の前に迫っている危険を察知することも、判断する知能もないのか、ぐぐもった声を出しては、次の瞬間には地面へ崩れていった。
そんな光景を見た僕は、こうなる前の平和な日常で見た、ホラーゲーム実況者の「○○逃げて」「(敵が)逃げゲー」のタグが付いた動画を思い出した。
まさしく敵が逃げゲーのように女は無双と言って良い程のゾンビ狩りを続けていた。
「きゃぁ、誰か、誰か助けて―!」
如何にもか弱そうな別の女性が必死にゾンビに追われながら、走って来た。
「よっしゃー、俺に任せろ」
周りにいたゾンビを倒しきった女は新たな獲物を見つけて、喜々として助けを求める女性の許へ駆け出して行った。女が走って行くと、僕の周辺はゾンビや他の物言わぬ死体まみれ、その中に僕は一人立っている。
「ま、待って! 僕を置いていかないで!」
急に恐怖感が戻って来て、先に行く、まだ名前も知らない女の後を追う。
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