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「もっと話していたかったのに。またすぐ来るよ」
「ねえ、翔太」
僕の名前を呼んだ唯が、小さな額を少しだけガラスに寄せた。僕も、そっとガラスに顔を近づける。何度目かの、ガラス越しのキス。唇に、冷たい無機質な温度が降れた。
「ファーストキス、したかったな」
ガラスから唇を離した唯が笑顔で呟いた。きっと出来るさ、という言葉を飲み込んで、僕は微かに頷き返した。まっすぐな瞳が、じっと僕を見つめている。
「もう、行かなきゃ」
再度鳴ったブザーに押されるようにして病室に背を向けた。部屋を出る僕の背中を追うように、唯が小さな声で「……またね」とつぶやいた。
それが、僕の聞いた唯の最後の言葉になった。
その夜、唯は静かに息を引き取ったのだ。イージーによる呼吸器不全だったという。聞きなれた担当医の声は、受話器越しにまるで別人のもののように聞こえた。
イージー患者の葬儀は病院でひっそりと行われる。最も僕は身内にイージー患者がいることを嫌がった唯の両親に、その葬儀にさえ呼ばれはしなかった。病院を訪れた僕に残ったものは、滅菌室に保管されていたタイムカプセルだけである。
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