思い出 1

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「もっと家におるんやから頼ったらええんや」と言われました。 初めてでした。その時初めて肩の力が抜けて涙が出たのを覚えています。 でも、私は頼ってはダメなタイプだったようで そこからまた私は遊び回るようになりました。 子供を預けて朝も昼もずっと遊んでいました。 熱が出ていても私は長女を見ることをしませんでした。 後から私は全く母親と一緒の行動をとっていたと気づきました。 絶対に子供をほったらかしになんかしないと思っていたのに 私は子供より自分を優先させる親になっていました。 そしてその後長女を連れて初めの旦那と同棲することになりました。 そこから私の生活はもっと酷くなりました。 夜の仕事をまた始めたので、朝は起きれませんでした。 朝起きれないので長女がお腹を空かせると思い私は 毎朝パンとジュースだけを与えていました。 それで大丈夫だと思ってしまっていたのです。 理由は簡単です。私も朝ごはんを食べる習慣はあったけど 毎朝食べていたものは、沢庵とご飯とか、パンのみとかでした。 小さい時からそうだったのでその状況が普通だと思ってしまっていました。 でもそんなの虐待と一緒だと後になり気づきました。 下に落ちたパンを拾って食べる子供を知らない顔して寝ていた私。 最低でした。今そんなことをしろと言われても絶対出来ません。 そんな長女は結局実家が預かってみることになりました。今日はこの辺で終わりです。 でも周りに誰か教えてくれる人がいれば全然違うと思います。 まだ私が長女を生んだ時期は、役所の人が来てくれたりするのとかありませんでした。 あっても知らなかっただけかも知れませんが。 絶対もっと若いお母さんとか家庭を知らないお母さんには 役所の人とかが訪問してきたりするのを、充実させたらいいと思います。 そして子育てができない私のような人が少なくなればいいなと思います。 でも子育てがわからないのは小さい時の、環境にもよるものだと思います。 もっとお母さんになる子供を育てるお母さんは 子供が健やかに育っていける環境を作っていけたらいいなと私も思います。
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