弦月

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 もう何度も客を取っていたから、朝早く起こされても侑は何とも思わなかった。この地味な木綿の着物も客の趣向なのだろう。  何れにせよ、日の光を浴びるのは久しぶりだ。小手をかざして眩しそうに空を見上げている侑に、 「行くぞ」  と、男は声をかけた。  乗り合い馬車に初めて乗った侑は、窓の外を食い入るように見つめていた。遠出をするのも生まれて初めてだった。窓の外は大きな建物が立ち並び、人種も様々な人々が行き交っている。 「面白いか?」  男が聞くと、侑は目を瞠ったまま、頷いた。  一人、二人と客が降りていき、町外れの乗り合い場で、馬車を降りたのは男と侑の二人きりだった。  少し歩くと、古ぼけた大きな洋館が見えてきた。建物の入り口には『大日本帝国陸軍第三支部』とほれぼれするような達筆で書いてある。
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