丘の上に建つ白い家の傍らに、二人の男がいる

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ほら、ほら、ご覧。 こんなにも心配なんだよ。 ここに、君によく似た男が立っているだろう? 彼が「私」の“叫び声”を消してしまうんじゃないかと心配になって、「私」はたまらず、彼のもとへ走り寄っている、悲鳴をあげながら―― ええ、よく、解ります。 ですが、私の仕事は、“声”が文字になって初めて動き出すのです。 あなたが今、私に見せている“それ”は、私の仕事ではありません。ついでに言うと、私によく似たその男は、似ているけれど私ではありません。 私はこれまで、一文字たりともしまい忘れたことがないのです。 この仕事で、私はじつに優秀な成績を修めていましてね。 ですから、どれだけあなたがご不安を感じようと、私は最後の一文字をしまわないわけには参りません。 組織化された仕事が滞りなくおこなわれるには、おのおのの作業におけるリズムが大変重要になって参ります。 それは解る。だが、考えてみてくれ。いや、むしろ聞かせてくれ。 君にだって、“迷い≒願望”の一つや二つはあるだろう? たとえば、そうさな、たとえばこうだ。 『このリズムをこんなふうに変えてみたら、今までとは違う新しい音楽に出会えるかもしれない』 どうだい? そうか! そうだろうとも! その“迷い≒願望”をたったいま発揮することだって可能なはずだ、有能を自負する君ならば! 君自身が組織化された作業の一部である以上、何かしらの願望は必ず出てくるはずだ。間違っているかい? おっしゃる通りで。 しかし、願望をそのまま実行してしまっては、円滑に仕事を進めることだけに注力してきた私を、私自身が裏切ることになってしまう。 “声”が文字になった瞬間、フレッシュなうちに文字をしまう――その遂行こそ、私にとって至福のときなのです。 その上もその下もないのです。
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