丘の上に建つ白い家の傍らに、二人の男がいる

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あなたが先ほどおっしゃった、矜持やプライドの話はなかなかに興味を惹きます。ですが、正確な考察とは言い難い。 なぜなら、あなたはあなたの基準でのみ事象をとらえているからです。 メロディがなくとも、リズムだけで音楽は成立する。 心がなくても認知は可能なのです! リズムによって教えられるのです! このおびただしい花々が芽を吹き、根を張り、茎を伸ばし、葉を付け、花を咲かせる音そのもの――リズムそのものが、直接私に語りかけるのです。 このかなり原始的な体験に必要なのは、各々の生のリズムを聞き分けるすぐれた聴力です。 メロディは必要ない。むしろ邪魔になる。フィルターを通してしまったリズムは、それ自体すでに死んでいる! だが。ではどう説明する? その風景がおまえの心ではないとするなら、それによく似た「私」の風景も心ではないと言うつもりか? 「私」とおまえがこうして立っている此処、よく似た此処も心ではないと言うのか? ですから (と、男はやや嘲りを含めて笑う。顔はないが、「私」には男が笑っているのだと判る) あなたがあなたの心だと思っているドアの向こうに広がる風景も、じつは心ではないのですよ。 あなたにも(・・・・・)、あるのはメロディではなくリズムなのです。 この風景はこの先もその前も、基本的に(・・・・)登場するものは変わりません。建物から人物、辺りの様子まで、ほとんど同じ(・・・・・・)です。 あなたのような方には堪えられないかもしれないと、先ほどからお話をおうかがいしていて、お伝えするかどうかずいぶん迷いました。
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