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第六章 雨(16話)
乱れた利の服を直し、濡れて思いどおりにならないデニムをどうにか履かせる。左腕はほぼ使えない。雨はますます強くなり、湧き上がる鮮血を滲ませては地面に流してゆく。利は意識を戻さない。俺は何かに祈るような気持ちだった。ただ利を守らなければという思いだけが頭の中にあった。
携帯で救急車を呼ぶ。レコード屋の名を告げ、利を抱いてなんとか歩く。垂れこめる赤い前髪のせいで宙さえ赤い。ただでさえ殴打された身体は重いのに、服が張りついて動きを邪魔する。
遠くにサイレンが聞こえる。灰色のバックヤードから路に出ると、わずかな明るさが目を射る。人通りはほとんどない。時折傘で顔の見えない人が横断歩道を渡るくらいだ。救助はあとどれくらいで、来るのか。
見上げると暗い広角の空から雨粒が襲ってくる。激しい頭痛に大きく息を吐いて、腕の中の利を見る。濡れて伏せられた睫毛に焦燥がこみ上げ、光る頬の白さに胸が詰まり、しっかりしろと声をかける。
気づくとまわりを救急隊員が囲んでいて、目の中で点滅する赤が無音で回転するランプのせいでよけいに酷いのだと知った。こちらに任せてください。そう繰り返す隊員に、俺は引き剥がされる利を放せずにいることに気がつき、腕を緩めた。
*
起き上がろうとして激痛が走った。鼓動が激しい。ゆっくりと上体を起こし、辺りを見渡す。アイボリー色のカーテンで囲われている。急いで開いて部屋を見渡しても、どこにもいない。
真っ暗な個室だ。ベッドから降りてドアを目指す。知らずに腕に触れて、包帯が分厚く巻かれていることに気づく。身体のいたるところに熱がある。廊下に出るとちょうど看護師の女と鉢合わせた。
「遊佐さん、安静にしていてください」
「利は」
「湯澤さんはお隣で休まれています」
「無事ですか」
「無事ですから、ベッドに戻ってください」
看護師は言いながら肩をわずかな力で圧した。
「会わせてください」
強く言うと、眉を寄せ、怯えたように目を泳がせた。
「あなたも重傷ですから」
「利に会わせてください」
遮るように言うと、彼女は見上げるようにしていた目を伏せ諦めたように踵を返した。俺は後に続き、隣の病室に入った。
利は薄水色の患者衣で横たわっていた。口角にちいさなガーゼが貼られていた。俺はベッドの傍らに屈んで、眠る利の冷たい額を撫でた。
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