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「――ふざけやがって」
舌打ちをしてその手を蹴り上げる。同時に横から別の男に耳を殴られ視界がぶれた。腕が熱い。よろけて俯き、地面に見えた血痕がかさを増してゆく。
「悪い、あんたベースだったっけ。大事な手、傷つけちゃったなぁ」
汗まみれで苦しく嗤う男にもう一度舌打ちをする。胸に左手を抱えこみ、右拳で顔面を殴り、横から殴った男の顔に肘をめりこませる。ナイフを持っていた男はまともに受けてうしろへ倒れこみ、肘を食らった男はしばらくしてまだらの涎を吐き出して動かなくなった。
地面で身体を起こしているもうひとりを睨みつける。俺がナイフを拾うのを見ると、男は泡を食ったように逃げ出した。
「――ったくよ、痛ってえ」
歯の隙間で息を吸い、ナイフを畳んで苛立ちのまま壁に投げつける。丸い柄が甲高い音を立てて遠くへ弾き飛ぶ。喉の奥が痛みに震える。腕が思うように動かない。汗が唇の上に落ちる。血が止まらない。
「さすが、王子様はちげえなあ」
嘲笑しきった声に目をやる。紺が利を抱き起こしている。反吐が出そうだ。この男は、本当に頭がおかしいのか。この状況で、薄ら笑いを浮かべている。
「いいから、離せよ」
紺は無視して、しゃがんだまま利を抱えてまるで愛でるように髪を頬から外した。利はぐったりと目を閉じている。気絶するほど殴られたのか、それとも精神的な衝撃か――知らずに握りしめる拳が左腕に激痛を生む。
見ると汝緒はじっと腕を組んで壁に凭れたまま、無表情で俺を見ていた。
こいつらは、一体、何を考えているのか?
一体、何を求めているというのか?
「こんなことやってても、利がお前らを見てくれるとは、思えねえけど」
声が濁る。視界が狭い。
「間違って殺っちまう前に、いい加減目ぇ覚ましたらどうなんだよ」
「――うるせえ。ほんっとうるせえよ。お前、一体なんなんだよ? 何様のつもりだよ」
紺が顔を上げた。苛立った、いかにも殺意が漲った笑みだった。
「王子様って、てめえでさっき言ってたじゃねえかよ」
俺が吐き棄てると、紺は笑みを乾いたものに変えて緩やかに立ち上がった。そして利を突き放すように、汝緒に預けた。
睫毛が揺れた。おそらく雨だった。
紺のつま先が、わずかな砂利を弄んだ。
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