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気づいていないのは、本人なのか。
こんなのは、あまりに、哀れすぎる。
「好きなんだろ、利が。好きすぎて、どうしようもないくせに」
「――は?」
紺が顔を戻し、朦朧とした笑いを浮かべた。
「お前に何がわかる」
汝緒は笑っていた。
明らかな、自嘲だった。
睫毛が揺れる。ぽつりと音がする。埃の匂いが鼻腔に満ちてくる。予報は見事に当たったようだ。咎めるように頭頂を打つ雨に、視界がさらに霞んでゆく。
汝緒の指から利の髪が落ちた。利は傾き、紺の肩に頭が落ちた。
「俺らにも、わからないのに」
呟きは雨音にかき消されそうなほどに小さかった。ふたりを見下ろす汝緒の目が、あまりに悲しすぎて、俺はことばを喪った。
紺の頭がふらりと揺れた。利の頭に凭れるように傾いた。長い髪の隙間から見える顔は眠っているようで、あどけなく見えた。ふたりはまるで、互いに寄り添う幼い子供のようだった。
怒りなどもう通り越していた。三人が、泣きたいほどの悲しみと、そしてなぜか、これまでに見たことのないような優しさに覆われて、俺はもう動けず、何も言えず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。
「――終わると思ったのに」
汝緒が湿った髪を、掻き上げた。
「どうしてお前はまた現れたんだ」
泣いているようにさえ見える笑みに、腹のなかにわずかに残っていた暴力的な衝動も沈んでいった。赦せない気持ちと悲しみがないまぜになり、喉に苦みがこみ上げる。俺は力を失った。立っていられなくなった。向かいの壁に背を預けて、座った。
それが、汝緒の、本心だ。
雨は本降りになり、三人を豊かに濡らしていた。長い髪は色を重くして張りつき、雨粒は血の気の失せた頬を打って細い顎を落ちてゆく。四方の壁も地面も黒く光り、三人を囲うすべてが明度を下げる。
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