70人が本棚に入れています
本棚に追加
ふいに、汝緒が着ていたコートを脱いで利の身体にかけた。酷いやるせなさに、俺は苦しくなって額を押さえた。今さらかけられたそれも、利もすっかり濡れていた。
不器用な男がした、小さなこと。
俺は、汝緒が得体の知れない呪縛から、わずかに抜け出したことを、知った。
汝緒が紺の肩に手を掛けた。
腕を担いで立ち上がらせる。紺はほとんど意識がない。眠るように目が閉じられ、その貌はあまりに疲れきっている。見下ろす汝緒の顔は、同情とも慈悲とも呼べるような色をしていた。
俺はどうにか立ち上がり、紺を失った利の身体が傾ぐ前に、腕に抱きとめた。
「利に」
汝緒が振り返った。
俺は利を抱きかかえながら、向き合った。
「悪かったと」
そのひとことに、目の奥が痛くなる。
「そんなの、自分で言ってやれ」
汝緒は笑った。紺を引きずって歩きだそうとするその背に、もう一度声をかけた。
「どうしてもっと、素直に伝えてやらないんだ」
「しつこいな」
「利は、お前らのことを、俺のところにいる間もずっと気にしてた」
痛みにぶれる息のまま、そう告げた。汝緒の目は表情を喪い、そしてまた哀しく笑う。
「いまさら、どう素直になれっていうんだ」
青く煙る視界の中で、去ってゆくふたりの背を見送る。
俺はもう、何のことばも持たなかった。
まるで、悲劇映画の終盤を観るような気分だった。
最初のコメントを投稿しよう!