第六章 雨(16話)

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 目覚めたのは翌日の夕方だった。遠いところから徐々に痛みがやってきて、耐えきれず目が覚めた。  縫ったばかりの傷が脈打っている。利は俺の腕の中で変わらない姿勢で眠っていた。  穏やかな顔をしている。しかし口許のガーゼが痛々しく、いっそう白さを増したような肌の色に不安が突き上げてくる。差しこむ夕陽に影を生む睫毛が、あの日の鈴音に重なってしまう。  命に関わる怪我ではない。全身の打撲と浅い傷で済んでよかったくらいだ。だが俺には、利が肉体で生きていると思えないような感覚があった。心を壊されてしまえば、利はこのまま目を開けないのではないか――そんな不安が絶えず突き上げてくる。  しかしやみくもに不安に浸っているわけにもいかない。目が覚めたら、何か食わせてやらなければ。離れたくはなかったが、俺は鎮痛剤と抗生剤を口に放りこみ、近くのコンビニまで出ることにした。  帰宅して靴を脱ぐと、すすり泣く声が聞こえて足を止めた。袋を投げ棄てて寝室に駆けこみ、俺は明かりを点けて息を呑んだ。 「利、お前……」  数秒の間、俺はただ見つめることしかできなかった。  無残だった。利は床に座りこみ、鋏で髪を切っていた。 「――何してんだよ!」  我に返って駆け寄り、腕を掴んで鋏を奪いとる。それを投げ棄てて、力のままに利を抱き寄せる。風に散った金髪がきらめきながら舞う。俺はすすり泣く利を抱き締めた。折れるほど、きつくきつく抱き締めた。  離れるのではなかった。独りにするのではなかった。あのときだってなぜ離れたんだ。新譜などいつだって見れたじゃないか。どうして俺は利を独りにしてしまったんだ。なぜだ。どうして。いまさら悔やんでも、すべてが遅いのに。 「わかった、わかったから、もう……」  苦しい。なぜこんなに、利が苦しまなければならないのだ。どうして――。手のひらに触れるざらつきが胸を削る。俺は目の奥を刺す痛みをこらえながら、幾度も利をきつく抱き締めなおして頭を撫でた。腰まで伸びた金の髪は、肩まで荒くぼろぼろに切られていた。 「髪が、汚い、髪が」  利が涙声で、絞り出すように訴える。 「どこが汚ないんだよ、汚くねえって!」 「汚いんだよ、落ちない、髪が……!」  利は俺の背を掻き抱いて泣き叫んだ。上向いて何度も叫んだ。俺は肩に落ちる熱い涙を感じながら、何度も髪を撫で、汚くないと言い聞かせた。
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