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「汚い! 落ちない! 髪が……!」
ようやくそのことばの意味に気づいたとき、苦いものが胃の奥から這い上がってくるのを感じた。
あのとき利の髪には、男たちの体液が付いていた。恐らくは大雨で流され、きっと病院でも浄められ、病室で眠っていたときには綺麗になっていたはずだった。
しかし、彼の中では消えていない。利の中では、今もあのときのままなのだ。
嗚咽をこぼして利が手を伸ばす。鋏を求めるその手を取り、転がるそれを蹴って遠ざける。
「――わかった、風呂に行こう。綺麗にするから」
俺は繰り返し髪を撫でながら、なんとかそう言い聞かせた。ようやくなだめて抱き上げると、利の身体は、初めて連れ帰った日のように、軽く感じられた。
肩にしがみついたまま離れない利を落ち着くまで抱き、椅子に下ろす。浴槽にそっとうなじを置かせ、放心している利を怯えさせないように慎重に上着を脱がせる。
右手で後頭部を抱き、ゆっくりとシャワーで毛先を濡らしてゆく。無闇に刃を入れられた毛は触れるだけで切れ落ち、乱れて揃わない。
あれほど気を遣って伸ばしていた髪だった。一緒に暮らすようになってからは毎晩手入れに時間をかけ、冷たくて柔らかな、俺にとっても大切な利の象徴ともいえる金髪だった。
まさかこんなかたちで喪うなんて、思いもしなかった。
「熱くないか」
薄く目を開けて、利が返した。視線をあわせてそれに微笑んでみせる。だがもう、俺は上手く笑うことができなかった。利がふたたび目を閉じるのを見てから、視界が滲みはじめた。顔の傷に触れないように、髪にシャンプーを伸ばす。紫に変色した口角の痣。頬と耳の傷。すべてが滲んでぼやけてゆく。この手に委ねられた頭の重み。息が詰まって、左手の包帯が濡れるのも、どうでもよかった。
ふいに利の手が上がり、俺の頬に触れた。
「泣いてるの」
ちいさな声に、喉を締めて、それから答える。
「泣いてねーよ」
言った声が、震えた。利がゆるりと瞬きをして、虚ろな眸で俺を見つめる。シャワーの水滴だからと誤魔化して笑おうとしたのに、俺は耐えられなくなった。
「泣いてねえよ」
優しく頬を撫でる細い手を握りこみ、俺は覆い被さるように利を抱きこんで、嗚咽を漏らした。
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