第六章 雨(16話)

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 俺は言いようのない感覚にとらわれた。儚く感じていた雰囲気が、黒髪になってさらに色濃くなった気がするのだ。きっと薄幸美人というのは、こういうことをいうのではないか。美しい響きだが、利には似合いすぎて、それはあまりに悲しい。消えてしまいそうな横顔にずっと抱き締めていたい気持ちに駆られる。  ふと利が俺の左手に触れた。 「手……」 「ん? ああ、大丈夫だよ」 「うそ、たくさん縫ったって……」  消え入りそうな声で呟いて、胸に頬をすり寄せる。自らそうするのは珍しい。俺は半ば驚きながらも、こみ上げてくるあらゆる感情を嚥下してそっと肩を抱き寄せた。  尖る肩の骨を包んで撫でる。利の落ちこみは自分の受けた傷のせいばかりじゃない。気にするのはわかっていた。言うなと言ったのに、きっと医者か看護師が口を滑らせたのだ。 「べつに大したこと――」 「あるよ!」  急に大声を出されて、驚いて口を閉じる。  確かに軽い傷とはいえない。あとすこしで神経も動脈も切れるところだった。一歩間違えば、動かなくなっていたところだ。 「ゴメン、ごめん」  利は涙声で、壊れ物に触れるように左手に手を添えて繰り返した。その痛ましさに切なくなるのをこらえながら、髪を撫で、耳に唇を寄せて笑う。 「大丈夫だって。お前が謝ることじゃないし、大丈夫」  利はさめざめと泣く。嗚咽をこらえて、時折苦しげに泣く。  俺は目を閉じた。この腕のために、あらゆるものを犠牲にした。恋人さえも。そうまでして作り上げた腕だった。この腕がなくなれば、俺は食うことも、生きることもままならないはずだった。  だが、あのとき、俺はベースのことを思い出さなかった。腕を切った男が口にしても気にかけなかった。信じがたいことに、すこしも頭になかったのだ。  今は、静かに思う。  愛するものさえ犠牲にしたこの腕だからこそ。こんどこそ愛するものを護るために傷ついても構わないのではないか。本心で、そう思えるのだ。  分厚く巻かれた包帯を眺め、そしてその手で、背を撫でる。 「それより、お前の身体のほうが心配だから」  心も――。ほんとうは、何よりも、それが。  どれだけの時間が必要かはわからない。癒える傷ではないのかもしれない。むしろ癒えるはずのない、残酷さだ。だがどれだけかかっても、こいつの心を、元どおりにしてやらなければならない。
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